監督を囲む会

雨宮監督より挨拶

  過日は私の監督就任20周年「監督を囲む会」を催して頂きました。集まってくれた私が監督になって以来の選手・マネージャーやコーチ経験者、OBや、現役の皆さんに深く御礼申し上げます。また、この会の企画や記録の収集、映像制作などに中心となって携わられた平成11年卒の皆さんや大平さん、他多くの皆さんにお骨折りいただきましたこと、重ねて御礼申し上げます。

  当日は多くの皆さんが集まってくれました。遠方からはるばる来てくれた人もいて、有難い限りでした。全部の人とは話ができませんでした。話ができなかった人、ごめんなさい。集まった皆さんを見ていると、案外みんな変わっていなかったですね。そして一人ひとり、現役時代にプレーしていた姿を思い出すことができました。30周年もやろう、とか言っていましたが、もう10年たっても案外みんなそんなに変わらないだろう気がします。それと違い、駒場は大きく変わり続けています。今回久しぶりに駒場に来た人は驚いたでしょうね。かつて春合宿をやっていた同窓会館がルベソンベールになり、寮があったところは生協食堂やイタトマに、野球場以外のグラウンド群は人工芝に、部室ももうじき取り壊しかも、、、山中湖も、山中寮は鉄筋コンクリートのセミナーハウスに、ファナックグラウンドは今は使えなくなってしまいました。驚きあり、寂しさもありです。 私が監督になりました時の現役選手は、私が駒場で野球をやっていた頃に生まれたか生まれないかという感じでしたが、今では、私が監督になった時に生まれたか生まれないか、というようになってきました。それにつれて、私の学生との付き合い方も変わってきているのも実感しています。昔の話を聞いて若い人たちは意外に思ったことも多かったかもしれませんが、これも時の流れ、ということでご理解下さい。でも、ハーゲンダッツは来年の夏は復活したいと思います。

  梶田君が中心になってまとめてくれた記録集はとても面白かった。普段記録として出さないような記録、投手の大黒柱度とか、あるいは代打起用数やリリーフ試合数など多いことにいろんな意味合いがある数字など。強かった時に中心だった平成11年卒組の通算個人記録は他を圧倒していましたね。それに混じって、その前後の学年、そして特筆すべきはここ1、2年の間に卒業した選手たちも顔を出していました。やっぱり力はみな持っていたのだということが改めて感じられますし、勝ちにうまく結び付けられなかったのはマネジメントの責任といわれても致し方ないところでしょうか。ちなみに四死球記録は四球と死球に分けると面白い結果が出ていたかも、と思いましたよ。 本塁打、出塁率の記録に、私が監督になった年の主将の樋渡君(8年卒)の名前がありました。当時は4年生が少なく、彼が孤軍奮闘しているような状態でしたが、新監督としての私を快く受け入れてくれ、楽しいスタートを切らせてくれました。残念ながら30歳を待たずに病に倒れ、亡くなったことは20年間で最も悲しい出来事でした。彼が引退した直後の確か11月に10何年ぶりかの竹内まりやのコンサートがあり、彼が婚約者と二人で聴きに行きました。その時の録音かもしれないライブのCDを私は持っていますが、彼らがその場で聴いていたかもしれないと思うと、このCDの録音日を確かめる勇気がまだ私にはありません。

  囲む会で、寄せ書きの色紙を2枚頂きました。野球のダイヤモンドが地になっている変わった色紙でした。その中に、お元気でとか、健康に注意してとか書いてありました。私も皆さんも健康だけには十分注意して、また元気で再会できますことを願いつつ、私の御礼とさせて頂きます。

 どうもありがとうございました。

平成26年11月 雨宮 渉

配布されたデータ集

東京大学準硬式野球部 勝敗記録(Excel)

データで見る雨宮監督就任20年(Excel)











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